大正7年(1918)東京生。
日本画家。
女子美術専門学校(現・女子美術大学)卒業。女子美術専門学校在学中の1938年に第2回新美術人協会展入選。1940年に女子美術専門学校を卒業。新美術人協会会員となり『キンダーブック』(フレーベル館)、『ふたば』などで挿画や装幀を描く。
1952年『山と池』が第二回上村松園賞受賞。
1961年から1963年にかけ世界放浪の旅に出る。旅の中でアンフォルメル、シュルレアリスムの影響を離れ、日本画の持つ色彩や顔料の美しさに回帰する。1974年創画会の結成に参画。1974年から1999年まで多摩美術大学日本画科の教授をつとめる。
1987年にイタリアアレッツオにアトリエを構え、1992年にアレッツオ市で堀文子個展を開催。1999年に創画会を退会。2011年に女子美術大学より名誉博士の称号を得る。
2000年、82歳のときに幻の高山植物ブルーポピーを求め、ヒマラヤ山脈の高地を走破。2001年に病に倒れて以降、長期間の取材旅行に出かけられなくなったことから微生物に着目し、海中に生きる命をモチーフとする作品を発表。これらの作品は画文集や個展で発表されている。
自然の中に存在する命や花鳥をモチーフとする作品を多く制作し、「花の画家」と呼ばれる。専門の日本画の他、装幀、随筆でも多くの作品を発表している。