(1867年10月15日-1943年3月19日)
洋画家。鹿児島県生。
幼名は猶熊。号は玉堂(日本画時)
幼い頃より絵に興味を持っており、平山東岳、川端玉章に日本画を学ぶ。
洋画に憧れ、24歳の時に洋画に転向。曽山幸彦、中丸精十郎、山本芳翠に師事。
画家の生活だけでは金銭的に厳しく、教員免許を取得して教師として働く傍ら、
制作活動を続ける。
明治38年、渡欧。パリでコルモン、ローマでカロリュス=デュランの指導受けて本格的な西洋の技術を学ぶ。帰国後、東京美術学校教授となり、藤島教室も設立された。
後進の指導に尽力しながら、自身の制作活動も続けた。
また、横山大観、竹内栖鳳とともに第1回文化勲章受章者となり「洋画壇の元老」と呼ばれるようになった。
明治末から昭和期にかけて活躍し、ロマン主義的な作風の作品を多く残している。