1901年11月30日-1995年11月14日
京都府で生まれ、戦前戦後にかけて活躍した洋画家。
画家を志して京都市立美術工芸学校に入学。父親との約束で日本画を学ぶが、どうしても油絵が描きたくて父親の反対を押し切り中退し関西美術院へ。更に画技を磨くため、家に無断で上京し働きながら川端画学校に通った。
その後、フランスへ渡りパリを拠点に写生やルーブル美術館の作品模写に没頭。帰国後は二科展を中心に活動する。
戦時中は、自ら進んで従軍画家として戦地に赴き戦争記録画を制作し、戦後は行動美術協会を結成して作品の発表の場とする。
制作当初は、西洋風景や人物、静物を多く手掛けていたが、日本の民家を専門に描くようになり「民家の向井」と呼ばれるほどだった。
その活動は40年以上に渡り、北海道から鹿児島までを旅して回り多くの作品を残した。