児玉幸雄は1916年(大正5年)8月9日に大阪市で生まれた洋画家である。
少年の頃から絵を描く事が好きではあったが、商家の生まれであったためか関西学院大学経済学部へ進学する。しかし、同大学の美術部弦月会に参加し1936年(昭和11年)関西美術展で初入選を果たす頃より洋画家・田村孝之介に師事。1937年(昭和12年)には「赤い背景の人形」で二科展初入選を果たし、以降毎年二科展へ出品するようになる。1938年(昭和13年)には全関西美術展全関賞を受賞。大学卒業直後に兵役に就き、紀元2600年奉祝祭において二科会から推薦され「戦線風景」を出品するなど制作活動を継続。終戦と共に中国から復員すると、その翌年には大阪展市長賞を受賞、二紀会創立に参加し以降二紀展を主な活動の場とする。
作品のモチーフは静物、風景画、建物、人物と幅広いが、特に作品数が多い西欧の風景画は1957年(昭和32年)に初めてフランスへ渡って以降に制作されたものである。初めての渡欧からはほぼ毎年ヨーロッパ各地を訪れ、パリの街角や市場など賑やかな人々の様子であったり、漁村や田園地帯における素朴で庶民的な生活の風景などを力強い油彩のタッチで活き活きと描き出している。石造りの建物のどっしりとした重厚感を、派手すぎず明るい色使いで描き出す事で穏やかに落ち着いた作品が多い。1980年(昭和55年)には「パリーの市場」が文化庁買上となる。
1992年(平成4年)2月20に逝去。75歳であった。