中路融人は、1933年(昭和8年)9月20日に京都府京都市で生まれた日本画家である。幼少期に画家が近所に住んでおり、絵を描いているところへ足繁く通っているうちに自分でも筆を取るようになり小学生の頃に全国の水彩画コンクールで入賞する。生家は酒の小売業を営んでいたが、家業を継ぐことは考えず京都市立美術工芸高校絵画科(現・京都市立銅駝美術工芸高等学校)へ入学。当時は職業としての画家を目指していたわけではなく、高校卒業後はデザイン事務所へ就職する。
テキスタイルデザイナーとして活躍する傍らで絵画を描き続けていたが、1954年(昭和29年)に晨鳥社へ入塾し山口華揚に師事する。そこで「自分の描きたいものは何か」を突き詰めた結果、幼少の頃によく訪れていた思い出の地である母の故郷、滋賀県五個荘の自然風景を中心に描くようになる。1956年(昭和31年)に日展にて「残照」が初入選、以降日展への出品、入選を重ねる。
季節の移り変わりによって移ろいゆく自然風景の豊かな表情を納得のいくまでその場で描き続けた風景画は非常に写実性が高く、特に湖や川辺などで水面に映る木々の姿などは透明感に溢れており澄んだ空気や風の動きまで伝わってくるほどである。戦後の林業衰退や工業化などにより五個荘地方の景観が失われゆくのを嘆き、在りし日の里山の姿を描き留めようとするかのごとく描かれた作品達は郷愁と愛情に満ちた柔らかな美しさを感じさせる。
1962年(昭和37年)には京展にて「樹林」を出品し京都市長賞を受賞、同年の第15回晨鳥社展に出品した「郷」が京都府知事賞受賞、また日展においては特選・白寿賞を受賞する。その後も日展や日春展を中心に活動を続け、1977年(昭和52年)に日春会会員、1980年(昭和55年)に日展会員となる。「待春」や「焔樹」が外務省買上、「冬田」が日展特選となり、1986年(昭和61年)には日展出品作「爛漫」が文化庁買上、1995年(平成7年)の日展出品作「輝」が文部科学大臣賞を受賞、1997年(平成9年)には前年の日展出品作「映像」が日本芸術院賞を受賞する。また同年に晨鳥社会長へ就任、2001年(平成13年)には日本芸術院会員となり日展常任理事も務めるなど後進の育成にも尽力し、その功績を認められ2012年(平成24年)には文化功労者となり、名実ともに現代日本画界の重鎮の一人である。