1907年(明治40)福島県会津坂下町窪に生まれる。
父親の仕事の関係で4歳でふるさと会津を離れ、北海道夕張へ移住する。幼い頃より絵を描く事が好きだったことから小樽の看板店へ就職。20歳で独立するも、勤勉意欲から上京し、看板業に従事しながら油絵を独学。公募展へ出品、入賞を果たす。
安井曽太郎氏の木版画作品に触発され手探りで木版画制作を試みる。以後、版画制作へ傾倒していく。
1948年、進駐軍高官夫人による若手日本芸術家の支援を目的とする展覧会、サロン・ド・プランタン展において「ミルク」が一等賞を受賞。1950年、サンパウロビエンナーレ展に出品された「凝視(花)」が在サンパウロ日本人賞を受章。この受章は戦後日本人としては初めての国際展での受賞となり、日本の現代版画の素晴らしさと斎藤清の名を世界中に広めることとなった。
以後、国内外で数多くの栄誉に輝き、1995年、国の文化功労者に顕彰される。1997年、永眠。
享年90歳。亡くなった1997年にやないづ町立斎藤清美術館が開館している。