浮田克躬は、1930年(昭和5年)2月17日に東京で生まれた洋画家である。
幼少期に神奈川県茅ヶ崎へ転居。小学生のうちに集団に馴染めず不登校となり専ら好きな絵を描きながら育ち、1939年(昭和14年)に開かれた第1回聖戦美術展を見た影響などにより画家を志す。小林萬吾より石膏デッサンの個人指導を受け、1945年(昭和20年)に東京美術学校(現・東京藝術大学)油画科へ入学。安井曾太郎の教室に在籍、師事。1950年(昭和25年)に卒業、新制作派協会第4回展に「集荷場」が初入選する。その後田崎廣助に師事、1954年(昭和29年)には第16回一水会展に「教会」が初入選し以降連続出品。1957年(昭和32年)第13回日展に「山手の路地」が初入選、こちらも以降連続出品する。
風景画を多く描いており、1958年(昭和33年)に第20回一水会展にて「場末の河」などが安井激励賞を受賞、第1回新日展で「丘の工場」が特選を受賞すると、翌年から北海道を取材して「まず自分の周囲を描くことから始めよう」と書き出した”北の風景”シリーズを8年間続ける。1964年(昭和39年)に第26回一水会展にて「龍飛岬」が会員佳作賞を受賞、翌年の第27回展では「冬①②」が会員優賞を受賞すると、1967年に初めての渡欧でヨーロッパ8カ国を巡遊したのをきっかけにフランスや北欧、ブラジルなど海外の風景も描くようになる。同年、第10回新日展にて「サンマルタン水路」が二度目の特選を受賞。翌年には「バスティユの冬」が第3回昭和会賞を受賞し、重厚な色使いと執拗なまでに激しい筆致による繊細かつ真に迫るような独自の写実表現が確立されていった。
その芸術性は海外でも評価され、1979年(昭和54年)にはブラジル政府からコメンダドール・オフィシャル賞を受賞、ブラジル芸術協会名誉会員も務めた。もちろん日本国内でも、1981年(昭和56年)に改組第18回日展で「シシリーの家」が会員賞受賞、1986年(昭和61年)には前年の第17回日展出品作「城砦の島」で第4回宮本三郎記念賞を受賞、1988年(昭和63年)には改組第20回日展において「海風の館」が内閣総理大臣賞を受賞するなど、日本洋画界を代表する画家として活躍を期待されていたが1989年(平成元年)8月30日に逝去。享年59歳の若さであった。