手塚雄二は、1953年(昭和28年)2月4日に神奈川県鎌倉市で生まれた日本画家である。父が友禅染の絵付師であったため自然と絵の世界に興味を持ち、高校時代に横山大観の画集を見、「一切の芸術は無窮を趁(お)ふの姿に他ならず」という言葉から強い衝撃を受けて画家となる決心をする。5浪の末に東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻へ入学すると、当時同大学の教授であった平山郁夫に師事する。
大学在学中の1979年(昭和54年)には第34回春の院展にて「歌占い」、第64回院展にて「午後」がそれぞれ初入選となり画壇デビューを果たす。以降毎年院展に出品し、通算で秋の院展では奨励賞を3回、日本美術院賞(大観賞)を3回(「潤」、「嶺」、「市民」)、春季奨励賞を4回、春季展賞を2回受賞している。大観賞を3回受賞した作家は近年例を見ず、39歳の若さで日本美術院の同人に推挙される。
手塚自身が「時間の許す限りスケッチをしに出かける」と語るとおり写実性を特に重視し、伝統的な日本画の手法、価値観を守りながら、花鳥画や風景画、人物画だけでなく時として西洋彫刻やブルックリン橋など日本画としては異質なモチーフをも取り上げ、繊細であったり大胆であったりと扱う題材によって大きく作風が異なる。日本美術院という長きに渡る伝統を持つ団体に属しながらも、斬新な発想と独自の感性をもって現代日本画界に新しい風を吹き込むべく挑戦を続け強い存在感を放ち続けている。
現在、東京藝術大学美術学部絵画科日本画教授として教鞭を執り、後進の指導にも力を注いでいる。