朝井閑右衛門は、1901年(明治34年)1月24日に大阪市で生まれた洋画家である。本名は浅井實(あさいみのる)。独学で油彩画の研究を始め、後に画家の養成機関として名の知れた「本郷洋画研究所」にて学ぶ。1926年(大正15年)の二科展で「廃園に於いて」が初入選し、1936年(昭和11年)に文展で500号の大作「丘の上」が文部大臣賞となり、画壇における確固たる地位を築いた。
油彩を幾重にも塗り重ねた独自の豊かな色遣いが特徴的であり、それ故1作に2~3年費やす事も珍しくなかった。代表作である「電線」シリーズは重々しい印象を与えるが、「薔薇」シリーズはその色彩鮮やかな魅力がいかんなく発揮され、高い人気を誇っている。絶筆作品となったのもやはり「薔薇」である。また「肖像画の名手」とも言われており、読書家であったためか文学者の肖像を好んで描いた。作品のモデルにもなった三好達治や草野心平とは交流もあったという。しかし常に画壇の第一線にいながらも、生前に個展を開くことはほとんどなく画集も出していないため「野人画家」とも言われていた。
1983年4月23日に死去。82歳であった。