大山忠作は、1922年(大正11年)5月5日に福島県二本松(現・福島県二本松市根崎)で生まれた日本画家である。生家は染物業を営んでおり、父も趣味で日本画を描いていた影響で日本画家を志す。
東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科で学ぶが、学徒動員のため繰り上げ卒業となり出兵。終戦後、復員した際に開催中だった東京都美術館での第1回日展を観覧、創作意欲を取り戻し第2回日展に「O先生」を出品し初入選を果たす。以降、日展を中心に活動を続け、「岡潔先生像」で文部大臣賞、「五百羅漢」で日本芸術院賞を受賞。日展審査員、事務局長、日展理事長を歴任し、2003年(平成15年)に日展顧問、2005年(平成17年)には日展会長に就任した。
写実性の高い骨太な筆致は描写力に優れ、「描きたいものを描く」という姿勢を貫き花鳥、風景、人物、宗教画と幅広い題材を描いた。その中でも特に「鯉」を得意とし、人気も非常に高い。その芸術性の高さと、日展における日本画壇への貢献度が認められ、1996年(平成8年)に勲三等瑞宝章を受章、1999年(平成11年)には文化功労者として顕彰される。
2009年(平成21年)2月19日に死去。86歳であった。