1876年(明治9)生まれの日本画家。山口県萩市出身。元の姓は伊藤、本名は篤。妻の松林雪貞(せってい)も日本画家である。
日本画における近代の写実性を追い求め、その中に漢詩などの教養を取り入れる独特の作品を多く残していたことで有名である。桂月は幼少の頃から絵画に興味をもち、地元を離れて上京し、野口幽谷に師事、南画を研究し研磨をしていった。この野口に多くを学んだ桂月は師が他界してしまった後に、誰にも付こうとはせず、ほぼ独学で絵画を制作し続けた。その実力は類を見ることが無く、絵画技術が上昇し南画の実力者として周囲に名を轟かせるようになっていく。
昭和期に入ってからの桂月は、さらに勢いづいていった。充実した画風で作品を生み出し続けていく松林桂月は、墨線を基調とする繊細な作品を多く描いた。そんな桂月の作品のひとつである「絹本墨画淡彩」はまさに画風が充実しており、全盛期の作品と言っても過言ではない。白くこぶりな花を付ける萩が描かれるこの作品は、墨線の濃淡を絶妙に使い分けており、立体感のある全く新しい日本画の境地を生み出しているといえる。さらに、作品の右下に居る漢詩は植物の萩と郷土の漢詩を掛け合わせた教養の高さを伺い知れる、美しい書を描いているのも分かる。
最後の文人画家とも言われる松林桂月の作品は、各方面でも高い評価を得た。1958年(昭和33)には文化勲章を受賞、そして文化功労賞なども受賞し、画家として最高峰の地位を獲得していった。また、日展の理事や日本南画員の会長なども歴任し、日本の美術界にも裏方として高い貢献をしていき、後世に技術や伝統を伝え続けていった。
上記以外の代表作に「春宵花影(しゅんしょうかえい)」「秋景山雉図」「長門峡図」「山居図屏風」「溪山春色」「愛吾盧図」などがある。
1963年(昭和38)東京都で歿、86歳であった。