下田義寬は1940年(昭和15年)3月30日に富山県滑川市で生まれた日本画家である。
1963年(昭和38年)、東京藝術大学美術学部日本画科卒業と同時に同大学大学院へ進学、郷倉千靱に師事し同年に再興第48回院展春季展にて「祈」が初入選する。1965年(昭和40年)に大学院修士課程修了、同年には日本美術院院友となり翌年には法隆寺金堂壁画再現模写に携わるなど若くしてその才能を認められ、その後1967年(昭和42年)~1969年(昭和44年)の間三年続けて院展奨励賞を受賞、1970年(昭和45年)には「白い宙」で日本美術院賞・大観賞を初受賞する。1976年(昭和51年)には「龍門」、翌年には「ペルシャ門」、と三度同賞を受賞、それらの功績を認められ1978年(昭和53年)には同人推挙。翌年には院展出品作「風舞う」「風渡る」が文部大臣賞を受賞、1983年(昭和58年)には同じく院展出品の「海鳴」「山彦」が内閣総理大臣賞を受賞するなど華々しい実績を誇る。
緻密な筆致と確かなデッサン力、独自の感性による大胆な構図と色使いで非常に叙情的かつ幻想的な風景画や花鳥画を描き出すのが特徴であり、海外の建造物をモチーフとした作品が非常に多い。中でも代表作である「モンサンミッシェル」は雄大な世界観と息を飲むほど美しい夕焼けの空、水面に写る影の儚さはまさに圧巻の一言に尽きる。