伊藤清永は洋画家であり、1911年(明治44年)2月24日に兵庫県出石郡出石町下谷(現在の豊岡市)にある禅寺の三男として生まれた。14歳から油絵を描き始め、親の大反対を押し切り東京美術大学(現在の東京芸術大学)に入学。20歳の時に初めて公募展に出品し槐樹杜展で「祐天寺風景」が入選、1936年(昭和11年)に文部省美術展にて300号の大作「磯人」が入選し画壇で注目されるようになる。
自らを「モダンボーイ」と称し、常に新しい芸術のあり方を追い求めながらも生涯を通して正統派写実表現を貫いた。特に女性美の表現技法にこだわり、女性特有のあふれる美しさを追求し明るく豊かな色彩を繊細なタッチで重ねて描き上げた裸婦像の数々は清永の代表的なモチーフである。その一方で、禅寺に生まれ僧侶としての修行も積んでいた事から仏教徒としての意識が強く、教授として勤めていた愛知学院大学の百年記念講堂壁画「釈迦伝四部作」などの仏教画も手掛けた。
1989年(平成元年)11月、故郷である出石町にて「出石町立伊藤美術館」(現・伊藤清永美術館)が開館。1996年(平成8年)には文化勲章を受章。2001年(平成13年)6月13日、アトリエにて急性心不全のため死去。90歳であった。