アルフォンス・ミュシャ(正式名Alfons Maria Mucha、アルフォンス・マリア・ムハ)は、アール・ヌーボー様式の巨匠と呼ばれる画家、グラフィックデザイナーである。1860年7月24日にオーストリア帝国領モラヴィア(現チェコ共和国)のイヴァンチツェ生まれ。
パリへ活動拠点を置き雑誌の挿絵で生計を立てているうちにその才能を認められ、「アルマン・コラン」というパリ大手出版社で挿絵家として活動することになる。東洋風の情景をドラマティックに描いた「白い象の伝説」や、挿絵集の代表作となる「ドイツ歴史の諸場面とエピソード」等はここから出版されたものである。
彼が一躍有名になったのは、パリの人気女優サラ・ベルナール主演の戯曲公演「ジスモンダ」のポスターが1895年元旦に発表され、大評判となったためである。サラはポスターを大変気に入り、専属ポスター制作家としてミュシャと6年間の契約を結び「椿姫」や「トスカ」など次々とポスターを制作し、サラがフランス演劇界において不動の地位を築くきっかけともなった。
他にも数々のポスター制作や挿絵を手掛け、その作風は草花をモチーフとした幾何学的な文様、柔らかで美しい色使いと華麗な曲線によってモデルとなる女性等の特徴を的確に表現しながらも決して嫌味の無い表現力が正にアール・ヌーボー様式の代表格と言える。
後に母国チェコへ戻り、スラブ民族の歴史について描いた「スラヴ叙事詩」20年に渡って制作する。他にも愛国心を喚起する作品を数多く生み出した事で、第二次世界大戦中にナチスドイツに捕らえられ、高齢だったミュシャは厳しい尋問により釈放の4ヶ月後に体調を崩し1939年7月14日に死去。78歳であった。