中川一政は洋画家として有名だが、水墨画、版画、篆刻、書、陶芸、随筆、詩歌など多彩な才能を持つ美術家・文化人である。1893年(明治26年)2月14日東京本郷生まれ。
独学で絵を学んでいたが1914年(大正3年)に初めて出展した「酒倉」を洋画家・岸田劉生(代表作・「麗子像」)に認められた事で本格的に画家を志す。その作風は自由奔放で豪放磊落、鮮やかな色彩を大胆な構図で重ねていく力強さに圧倒される。
風景画や静物画、特に「薔薇」をモチーフとした作品が非常に多く800点を数える。また、50代半ばで神奈川県の真鶴に移り住み、真鶴や福浦(湯河原町)の風景を数多く描いた。常に漁港などの野外で描き続け、その制作活動は晩年まで続いたという。
1975年(昭和50年)に文化勲章受章、文化功労者表彰を受ける。1986年(昭和61年)に母の故郷であり幼少期に何度も訪れていた石川県松任市(現・白山市)に松任市立中川一政記念美術館(現・白山市立松任中川一政記念美術館)が開館、1989年(平成元年)には真鶴町に真鶴町立中川一政美術館が開館した。
1991年(平成3年)2月5日、97歳で没するまで生涯現役を貫いた。