伊東深水は浮世絵師、日本画家、木版画家である。東京の深川(江東区森下)にて1898年(明治31年)2月4日に生まれる。本名は一(はじめ)。元は日本画家の中山秋湖に師事、のち1911年(明治44年)に鏑木清方(かぶらききよかた)の元へ入門、「深水」の号を授かる。
伝統的な歌川派浮世絵の流れを継ぐ最後の美人画家と言われ、「時代と風俗は変わっても美人へのあこがれは不変である」との考えに立ち、柔らかく繊細な美人画を多く生み出した。その人気の程は、美人画の依頼ばかりが来るようになり他のモチーフを描く機会を得られず深水自身が困惑するほどであった。戦後には多くの複製版画が出回っていた事からも人気の高さがうかがえる。
美人画を代表とする浮世絵風日本画だけでなく、1943年(昭和18年)に海軍報道班員としてシンガポールやインドネシアなどへ派遣された際に見聞きした南方の生活風俗を鉛筆や筆でいきいきと鮮やかに描きとったスケッチも数多く手掛けるなど作風の幅広さも持ち合わせていた。
なお、女優の朝丘雪路は実の娘であり、作品の中で彼女をモデルにした少女が描かれているものもある。
1972年(昭和47年)5月8日、癌のため死去。享年74歳であった。