日本画家。1945年(昭和20年)10月22日疎開先の長野県小布施に生まれる。中島清之(きよし)の3男。桜を画題とした作品が有名である。また、宮尾登美子著「きのね」などの挿絵も描く。著作に「日本画の描き方」「中島千波画集」などがある。
東京藝大在学中、安保闘争やベトナム戦争に於ける社会情勢の影響から、精神的思想を多感に受けたことによる絵画表現を色々と学ぶようになる。1969年第4回神奈川県展での受賞作品「窓外」が、作家・中島千波のエポックとなった。これをきっかけに”窓シリーズ”が単純化され展開していくこととなる。結界となる窓枠は、単に内と外だけの意味ではなく、精神世界と物質世界をより深く考察しようと言う試みなのである。
1979年第5回山種美術館賞展で「衆生・視」が優秀賞を受賞する。それと同時に日本美術院展に於いても受賞を重ねるが、1984年には、東西若手日本画家による『横の会』展を結成し、”院展”では表現しきれない大作を10年に亘り発表することになる。
中島千波といえば桜を思い浮かべるように、桜を描いた作品が数多く発表されている。彼が桜の花を描くようになったのは、速水御舟の「夜桜」の自然観照の鋭さに啓発されてと言う。
1994年東京藝術大学デザイン科に助教授として就任し、描画系研究室の修了生達を育成する傍ら、1996年有志4人で新たに『目』展を立ち上げ、変わらずに研究発表を精力的に続けている。
現在に於いては、人間存在の意味と、基となる精神の流れをいかにして一貫した美意識のもとで、絵画表現するかに関わっている。
2013年3月をもって東京藝術大学を退任。