1920年11月10日、米沢市に生まれる。
1927年6歳のときに左眼を失明する。
1929年上村廣成に師事し日本画を学ぶ。
1936年画家を志して上京する。
1941年召集され、中国に出征する。
1946年復員し、院展に出展する。
1949年作品「山村風景」が日本美術院展覧会に初入選する。
1960年作品「北の海」が日本美術院賞・大観賞を受賞する。
1974年(昭和49年)にかねてからの希望であったヒマラヤ山脈へ取材で訪れ、代表連作「ヒマラヤシリーズ」の制作を始める。この「ヒマラヤシリーズ」は作品そのものの大きさもさることながら作風もスケールが大きく、法林自身がヒマラヤの山々と向き合い、山を神と崇めつつ自らの心を清め山と同化しようとするかのごとき強い精神世界を剥き出しにした作品に圧倒される。
1977年作品「ヒマラヤ連峰」で、第27回芸術選奨文部大臣賞を受賞する。
1984年作品「ヒマラヤの花」で日本芸術院賞を受賞する[1]。
1994年日本芸術院会員。1997年(平成9年)に勲三等瑞宝章を受章。
1998年(平成10年)に文化功労者顕彰受賞。
2004年文化勲章受章。
2004年(平成16年)には文化勲章を受章する。
2012年(平成24年)2月21日、心不全により死去。91歳であった。従三位を叙位。また、息子・福王寺一彦も日本画家である。